Leさんが、交渉してくれた、宿に泊まって、朝6時前に起こされた。 ベトナム人の朝は早い。そして支度も早い... 「Kamui di di!!」(Kamui行くよ!)と言われて、私は寝ぼけ眼のまま、支度を始める。 もう船の時間!?と思ってLeさんに着いていくと 朝の海。この景色を見せるために連れて来てくれたのだった。 Leさんはもっとここに居たいと言っていて、私も同じ気持ちだったけれど、船の時間に急かされてQuan lan島をあとにした。 港は人が少なくてLeさんも「Buon nha...」(寂しいね)と呟いた。 私たちは、また4時間かけて港へ戻った。幸い(?)曇っていて日差しが強くなく、涼しかったことも手伝って、2人で爆睡してしまった... 港に着いて、Phoを食べた。バイチャイは海産物が有名だけれど、観光地なので、高いらしい。 Leさんは「ここは何でも高い」と文句を言っていた。 「バイチャイに泊まるのはやめようね」とも。 ところで「ハロン湾はいつ行くの?」と聞く私。 え?というふうに眉をしかめられ、「ここだよ」と言われる。 地図で下調べしなかったわたしも悪いが、今まで、船に揺られて見ていた景色は全部ハロン湾の中だった!? でも、先輩に見せてもらった写真では、水は深い青だったはず!! 「ハロン湾の水は青じゃないの?」と聞いてみた。 Leさんはさらっと「青くないよ。Khong sach(きれいじゃない)」と言った。 私は先輩に見せてもらった写真のことを話して、水が青いと思っていたと話した。でも、先輩がハロン湾へ訪れたのは7年前だ。 Leさんは「昔は青くて綺麗だった。でも2年ぐらい前から水が汚くなった。観光客が大勢来るようになったから、今はごみがたくさん...」というようなことを話してくれた。 確かに見たくはなかったし、写真には納めなかったけれど、湾にはペットボトルやお菓子の袋や煙草の吸い殻、果物の皮などがたくさん浮いていた。 そんな中、私はいつになったら水の色が変わるのだろう。もっと沖へ出てからかな?とずっと待っていたのだった。 乗り合わせたベトナム人旅行者が、船の外にぽんぽんゴミを捨てているのも、ずっと気になっていた。 Leさんはそれをわかっているからか「外国人がたくさん来るようになったから」と言わず「観光客が」と言ったのだろうか。それに私も「外国人」である。このとき、言葉を選んでくれる、Leさんの細やかさを想った。 ベトナムは急速に近代化という名の発展を遂げているけれど、このままではもう後5年もしたら、私が今見ている光景は見られなくなるだろう... 案外、そういうものって「外の人間」が一番早く、気がつくものなのかもしれない。 彼らには当たり前すぎて、ありがたさが分かっていないのだ。 私があまりにもがっかりしていたからか、Leさんは「これからCat ba島へ行こう。Cat baはきれい」と言ってくれた。 私たちはTuan chauという港から1時間かけて、カットバ島へ向かった。 ガイドブックには“カットバ島への船はハイフォンからしか出ていないので注意”とあったが、Tuan chauからはたくさん出ているようだった。 こういうことも、ベトナム人にしかわからない。 カットバの港は無人島そのものだった。 今夜はここに泊まろうと言われたけれど、こんなところに宿なんてあるのだろうか... あったとしても、半野宿だろうな。とべたべたする体と不快感を意識しないように努めていた。 #
by m0ng
| 2009-09-03 13:23
| VietNam
お久しぶりです。8/30~9/2までお休みを頂いて、念願の「ハロン湾」というところへ行ってきました。 ハノイからバスで4時間。旅のお供は7月までDWCの学生だった、ベトナム人のLeさん。 彼女とは年も同じで、先生と学生というよりは、今日まで、一緒に勉強してきてクラスメイトのような感覚。 今は日系企業で働いているけれど、よく連絡を取り合っていて、守衛さんに「Leさんの家へ遊びに行く」と告げる度に「LeさんはKamuiの恋人か...」と呆れられるぐらい、よく遊んでいます。 ハロン湾は私にとって憧れの地であり、それは尊敬する先輩から思い出話を聞いていたから。 ベトナムへ来たら絶対行きたい!と思っていた。 バイチャイというところに着いて、突然Leさんが「ハロンわんはあしたにゃ。きょうはQuan Lanしまへいきましょう」と言うではないか!?(ベトナム語には口調を和らげるとき、語尾にNhaをつけるようで、その癖が、日本語を話すときも残っていて、あしたにゃ。私にゃ。というふうになって、とてもかわいい!!) ちょっと?ってなったけれど、今回はLeさんに任せることにして、私たちはそこから、船で4時間かけてDao quan lanへ向かった。 木製の船に無理やりエンジンをつけたような船に乗って。 港からはすごくたくさんの荷物を持った人々が乗り込んでいた。私たちのような旅行者もいたけれど、多くは家へ帰る人のようだった。途中で船は何度も水上の家を経由して、人々を降ろした。 彼らは何故ここを住処としているのか?飲み水以外はすべて海水だし、食糧や生活必需品は毎回、陸へ買い出しに行かなくてはならない。 それでも陸へ移ろうとはしない人々を見て、ふと、「海の上のピアニスト」という映画を思い出していたけれど、Leさんは「Nguy hiemにゃ」(危ないよね)と眉をしかめていた。 水面は穏やかで、涼しくて、何度もうとうとしながら、島へ着いた時には、すでに陽が傾き始めていた。 このような乗り物に乗り、ビーチまで連れて行ってもらった。 タイの「トゥクトゥク」によく似ている。名前を聞いたけれど忘れてしまった... 風に吹かれながら、夕日色に染まっていく島を見て、世界のはてに来てしまったような気持ちになった。でもあのとき感じた何ともいえない感覚と光景は生涯忘れることはないだろう。 人気のほとんどなくなったビーチを私とLeさんだけて2人占めして、服のまま泳いだ。 完全に日が暮れるまで、ビーチには私たちの笑い声だけが響いていた。 #
by m0ng
| 2009-09-03 12:40
| VietNam
昨日、夜8時、ノイバイ空港までNgheさんを見送りに行きました。 Ngheさんは12時発の便。 残念ながら私は、帰りのバスがなくなってしまうので、9時にお別れ... 日本での私の連絡先を教えて、「Hen gap lai」と言って、手を振った。 ベトナムの別れの挨拶は寂しくない。Henは約束。Gapは会う。Laiはまたという意味。 この言葉で“また、会う約束”をするのです。 日本へ帰る楽しみが二倍になった夜でした。 #
by m0ng
| 2009-08-25 11:23
| VietNam
DWCセンターの裏にあるao(池)には、アヒルがいっぱい!! 水田にアヒルがいたり、水牛がいたり、ベトナムの農業は自然で、理にかなっていると思う。 工業団地の近くで見つけた看板。 !? 水牛と自転車は同じ道路ですか...? #
by m0ng
| 2009-08-25 11:04
| VietNam
昨日はDWCセンターの先生の紹介で、Ngheさんという方のQue(故郷)へお邪魔した。 メールや電話でのやり取りはしていたけれど、実際に会ったのは昨日が初めて。 ベトナムでは「友達の友達」や「知り合いの紹介」という形で、いきなり、知らない人から連絡がくる。 正直、最初はとても嫌だった。 プライバシーや個人情報の保護という概念はないのか!?と腹が立ったこともあった。 また、携帯電話の貸し借りも多くて、知らない番号からかかってきても、友達だったりする。 だから、最近は出られる時は出るようにしている。 彼は4か月、日本語を勉強して、今夜7時の便で日本へ行く。 研修生として、3年間、静岡に住むらしい。 実はずっと、お誘いを断り続けていた私だったが、「日本へ行く前にどうしても一度会いたいです」と言われて、覚悟を決めて、会うことにした。 いくら、今まで出会ったベトナム人が親切だったとはいえ、外国人を狙った犯罪が無いわけではない。 DWCセンターの先生の紹介でなかったら、とても会う勇気はないけれど... 「Kamuiさんですか?」 少し、緊張した面持ちで現れた彼は、真黒に日焼けした真面目そうな青年だった。 とても、礼儀正しくて、始終、日本語で話そうと努めてくれた。 ベトナム人にしては(?)口数が少ない方だったけれど、人懐っこい笑顔が絶えなくて、私はすぐにNgheさんに好感を持った。 私たちは途中でブンチャー(Phoに似た細い麺)を食べながら、いろんな事を話した。 Ngheさんは日本で日本語能力試験2級に合格して通訳になって国へ帰る決意などを、静かな物腰だったけれど熱く語ってくれた。 赤い川を越えて、辿り着いた村には、隔離された空間、特有の美しさと神秘さがあった。 累々と続くバナナ畑、ゆっくりと草を食む水牛、湖に点在するお墓。 そういったもの一つ一つが、私にとって異世界だったけれど、Ngheさんが、故郷を想うとき、瞼の裏に浮かぶ景色はこれなんだろう。 その時、私は不意に“Mother Land”という言葉が思い浮かんだ。 世界中のすべてが、誰かにとってのMother Land。 神様はこの風景を見せるために、私をベトナムに連れて来てくれたんだ...とさえ思った。 そして、Ngheさんに対して不信感を持っていたことが、急に恥ずかしく、申しわけなく思った。 Ngheさんのご家族も、あたたかい人たちだった。その日は家族水いらずのパーティーだったのに、私を快く迎え入れてくれた。 Ngheさんのお母さんは、笑顔を絶やさなかったけれど、ご飯を食べながら箸を休めるとき、“Hanoi-Nagoya”と書かれたNgheさんの荷物を見て、泣き出しそうな、寂しそうな眼をしていたことを私は知っている。 「日本でわからないことがあったとき、手伝ってあげてね」 と、言われて、私は力強く「Vang(はい)」と返事した。それで、少しでも安心してくれたら。と思って。 私たちはNgheさんの家族や親戚、村の人々に挨拶をして、Hanoiに帰ってきた。 ライトアップされた町やステレオから流れる音楽が、とても近代的に思えた。 でも、ここには雑踏しかないような気持ちになった。Que(故郷)から、Hanoiに出てきた若者たちが、どう感じているのか少しだけ、わかったような気がした。 24日の夜7時に、Noibai空港で会う約束をして別れた。 gia dinh(ご家族) nghe emgai(Ngheさんと妹さん) #
by m0ng
| 2009-08-23 10:39
| VietNam
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